あれ、冬馬君ってば泣いてる?
 エメラルド色に光る一面の景色はまるで僕たちのために作られた宇宙。そんな宇宙の真ん中で、冬馬君がきれいな涙を流してた。
 どうしたんだろう? って、気持ちが一瞬だけ冬馬君に向く。だけどマイクを構えた冬馬君が目を閉じて口を開くところを見ちゃったから、あ、これ心配しなくても大丈夫なやつだって判断して、僕は僕のパフォーマンスに集中することにした。
 確かにね、歌声はちょっとだけ震えてたよ? なのにきっちり歌い上げてくれるものだから、僕は「さっすが冬馬君」って感心せずにいられなかった。
 冬馬君はセンターステージのすみっこに立ちつくしたまま、僕らにだってたまにしか見せてくれないような顔をしてた。睨んでるの? って、たまに誤解されちゃう目のふちは赤くなってたし、前髪も横髪も汗のせいでおでこやほっぺたに貼りついちゃってて、整えてあげたいなって思ったけど……。
 あふれて止まらない涙を拭う冬馬君が、パーカーの袖口を伸ばして濡れた目やほっぺたを拭う冬馬君が、目に映るものぜんぶが愛おしくて仕方ないって顔をしてたから。
 泣かないで、って言葉は違うと思った。
 泣いちゃえばいいよって、僕が抱きしめてあげたかった。
 一足先にメインステージに向かう途中、花道で合流した北斗君とは目と目で会話をした。「冬馬らしいね」「だよね」みたいなテレパシー。僕が気づくことに北斗君が気づかないわけがない。
 そのまま、僕たちと一緒に歩いてくれてるカメラさんに向かってウインクを投げたりハートを作ったりしながら花道を歩く。メインステージに到着して北斗君とそれぞれ左右のステージに別れた頃には曲も終わりのほうに近づいていて、いつものことだけどさみしくなった。
 歌い尽くして踊り尽くして跳ねて走りまわった僕の身体は「早くふかふかのベッドに寝転びたいよ〜」って訴えてるのに、それでもまだまだ終わりたくないって思っちゃうんだ。
 ラストのサビに合わせて会場中にコンフェッティが舞いあがる。これで本当におしまい。せっかくみんなと逢えたのに、もうお別れだなんてさみしいよ。手を振りながら花道を歩く冬馬君を見つけて、もしかしたら冬馬君も僕みたいな気持ちになって泣いちゃったのかもって思った。そうだったらいいなって思った。

『――俺たちを見つけてくれたこと、愛してくれたこと、とても嬉しいです。俺たちはジュピターなので、これからも皆さんをとっておきの引力で惹きつけます。よそ見はさせないから、覚悟しておいてね』

 アンコール前のMCで北斗君がエンジェルちゃんたちに話すお決まりのあいさつ。これを聞くたびに僕の背すじはしゃんと伸びる。
 僕たちはアイドルだから。ずっと愛されていたいし、愛されるためには過去の僕たちも超えていかなくちゃいけない。実力があるだけじゃ、クオリティを保つだけじゃだめなんだって。確か黒ちゃんも言ってたっけ。歌もダンスもキャラクターも進化させ続けなくちゃ簡単に飽きて見放されちゃう。だってアイドルは僕らだけじゃないんだもん。そういう世界だってわかってる。
 北斗君のあいさつは、僕たち一生懸命がんばるよっていう誓いの言葉。そんな僕たちをずっと愛していてほしいっていう祈りの言葉。
 キラキラ輝く笑顔と、僕たちの名前やメッセージをかわいくデコったうちわやボード。エメラルド色に光る景色を眺めながら役目を果たしたイヤモニを外せば、おねーさんたちの大きな歓声が聴こえた。
 僕はね、この瞬間が一番好き。これのためにがんばってきたんだって思う。報われる。
 だから僕は、僕たちはすっごく幸せだよって、たくさんのありがとうと大好きを口にして、これでもかってくらい両手を振った。指先で作ったハートも両手で作ったハートもぜんぶ本当の気持ち。みんなが僕たちを大好きだって思ってくれる気持ちとおんなじくらい、僕たちもみんなのことが大好きなんだよ。
 メインステージの中心に到着した冬馬君の背中に抱きつきながら「冬馬君泣かないで〜!」なんて、いつもの調子で慰めてあげれば「泣いてねえ!」って元気いっぱい返される。北斗君がすかさず「嘘つかないの」って冬馬君の目尻を拭ってあげたら「キャーッ!」なんて悲鳴が観客席中から沸き上がった。
 あはは。これ、今夜のトレンド総なめにしちゃうやつじゃん。


「冬馬くーん! ごはん食べよー!」
 僕が使ってる部屋の隣。冬馬君が選んだ客室の扉をコンコン鳴らす。これくらいのノックじゃ反応はないから、両手を使ってリズミカルにトントココンコン叩きまくる。しばらくそうして待っていたら、扉の向こうからバタバタ慌てるような音が聞こえてきて「うるせえぞ翔太!」って冬馬君が勢いよくお出迎えしてくれた。想像通りの展開。だから冬馬君って飽きない。
「ごはんまだでしょ? 一緒に食べてあげる」
「食べてあげるって、おまえが腹減ってるんだろ?」
「正解。僕おなかぺこぺこでさー」
「食うのは別にかまわねえけどよ。外に出るのは嫌だぜ」
「そう言うと思ったから、ちゃんとルームサービス取ってあるよ」
「は?」
 上も下も灰色のスウェットでくつろぎモード全開な冬馬君が目を丸くする。僕はその真横を通って部屋の中に入った。僕とも北斗君とも同じ間取りの客室。面白みには欠けるけど、人の部屋ってどうしてわくわくするんだろう。ダブルサイズのベッドにダイブして真っ白な枕を見つめながら指を折っていく。
「赤身のステーキとカルボナーラ、温玉のサラダにコンソメスープ。デザートはさすがに頼めなかったんだけど足りるよね?」
 僕を追って来た冬馬君にちらりと目配せ。
「お、おう……つーかそんなメニューよくOK出たな」
「明日の公演が終わったら一段落つくし、食べたいもの食べさせてねってプロデューサーさんと約束してたんだ〜。前夜祭ってやつ? もうすぐ届くんじゃないかな」
「ちょっと待て。ここで食うつもりか?」
「うん。だって部屋に食べ物の匂いが残るの嫌じゃない?」
 大きなため息をついた冬馬君に「ごめんね?」って笑いかけて、右肩を上に横向きになるよう寝返りをうつ。冬馬君はテーブルの上に置いていたシャツやタオルを手に取ると開きっぱなしのスーツケースに向かって投げ入れた。
 そのまま、ずんずんと大股でベッドの傍に立った冬馬君が僕を見下ろす。跡ついちゃうんじゃない? って心配になるくらいギュッて中心に寄った眉間のしわに、への字の唇。見慣れたものだよ。睨まれたってぜんぜん怖くない。
「今回だけだぞ。ステーキに免じて見逃してやる」
「やった。冬馬君だ〜いすき」
「うっぜえ」
 ベッドに座った冬馬君に指先でキスを投げれば、僕が飛ばしたハートを拒絶するみたいに手の甲が何もない宙をはたいた。
「北斗は呼ばなくていいのかよ。俺たちだけいいもの食ったって知ったら拗ねるだろ、あいつ」
「ちゃんと誘ったに決まってるでしょ。さっきまで一緒に居たんだよね。でもデートの時間だからって断られちゃった」
「あ? あー……ったく、北斗のやろう……」
「ほんと、らしいよね」
 ツアーの最中にデートする余裕なんかあるわけない。北斗君の言う『デート』は身体をメンテナンスすることなんだって僕も冬馬君もとっくの昔から知ってる。腕とか足とか、痛めた箇所をトレーナーさんにほぐしてもらったり一緒にトレーニングしてるみたい。
 格好つけな北斗君はそれを隠していたいみたいで、だから僕たちは「これからデートなんだよ」って楽しそうに話す北斗君に「ほどほどにね」って呆れた顔をしてあげることしかできない。
「おまえは大丈夫なんだろうな」
 冬馬君が僕の首根っこを掴んで揉んでくれる。そのすぐとなりで、バンドに固定された氷嚢が僕の右肩を冷やしてくれていた。ライブが終わってずっとこのままだったから、中の氷はすっかりとけきってるんだろうけど。
「平気平気〜心配しないで〜」
 冬馬君の手が気持ちよくて「あ〜」っておじさんみたいな声が出た。恥ずかしくなって、誤魔化すために冬馬君の太ももに手のひらを置く。腕を伸ばしてもテーピングが巻かれてる膝には届かなかった。
「冬馬君だって足痛いの我慢してるんでしょ? 明日もがんばれそう?」
「たりめーだろ。これだって派手に動かさなきゃ痛くはねえんだよ」
 つまり踊ってるときは痛いってこと? マッサージをしてくれてる冬馬君の手を振り払って上体を起こす。冬馬君とじっくり目を合わせて数十秒。先に耐えられなくなったのは僕のほうだった。
「あはは……っ、じゃあ僕たちもごはん食べたらデートしに行く?」
 北斗君ふうの言葉でおどけてみせれば冬馬君もつられて笑った。
「いいなそれ。俺らと鉢合わせしたときの北斗の顔、想像しただけで笑える」
「『わあ奇遇だね北斗君〜! ダブルデートだよ』って言いたい」
「それはトレーナーがいたたまれないだろ。巻き込むのはよそうぜ」
「だね」
 コンコンコン。計ったようなタイミングで響いたノック音に冬馬君が返事をしながら立ち上がる。扉に向かう冬馬君が歩くシルエットに違和感はなくて、とりあえずほっとした。


 小さな丸テーブルの上にめいっぱい広げてもらった料理を冬馬君と向かい合うように座って眺める。部屋着の襟ぐりにナプキンを挟んで右手にはナイフ、左手にはフォークを持った。ステーキとスープは1人1皿。カルボナーラとサラダは2人分が大皿に乗ってきたから真ん中に。湯気立つスープときれいに焼けた何とか牛のいい匂いにぐうぐうお腹が鳴る。
 飲んじゃってもいいよね! って客室に備えつけられてる冷蔵庫から持ち出したコーラの瓶で乾杯して、僕と冬馬君はステーキを切りだした。
「昔っから49キロのときが一番踊りやすいって思うし、実際ツアーに合わせて49キロになるよう調整するんだけどさ。なんでか1ヶ月も経つと太っちゃってるんだよね〜。今52キロもあるんだよ僕」
 それでも苦労なく踊れちゃうから僕の中の49キロ信仰心はガラガラと崩れつつある。体重が増えたのは自己管理がなってないとかじゃないんだよ、ほんとに。事務所が用意してくれるケータリングの料理が美味しすぎるせいで。せっかく作ってくれたのに食べないのは失礼だって思ってたけど、そろそろ本気でヤバいかも。本番前のごはんは軽く果物だけって決めてる北斗君や、食べた分だけ筋トレする冬馬君のストイックさを見習わなきゃだね。
「太ったつーか……筋肉なんじゃねえのか? それ」
「え〜やだやだ! そういうのは求めてない!」
「顔に肉さえつかなきゃいいだろ。俺は今くらいが丁度いいって思うけどな。細っこいほうが見てて不安になる」
「冬馬君の好みは聞いてないんですけど」
 一口サイズに切ったステーキをソースが入ったココットの中に浸してかぶりつく。久しぶりのステーキ! 美味しい! 柔らかい! 肉汁すごい!
「ん〜!」ってお肉の旨みを噛み締めながら真正面に座る冬馬君を見ても目は合わなかった。ステーキとかハンバーグとか、僕は切りながら食べるタイプだけど冬馬君は初めにぜんぶ切っておきたいタイプみたいで、今も黙々とステーキにナイフを入れてる。
 この美味しさを同じ瞬間に共有できないだなんてつまんないや。もう一切れ切って口に運んでから、お肉の横に盛られたマッシュポテトも食べてみた。肉一色な口の中をマイルドにしてくれる感じ? この素朴な味つけ、好きだなあ。
 遅れてステーキを食べた冬馬君の顔にパッと花が咲く。だよねだよね美味しいよね! なのに感想が「牛の味がする」ってさ、ボキャブラリーが独特すぎない? 面白すぎるよ冬馬君。
「……つーか、どうだったよ。どうせおまえら2人で反応漁ってたんだろ」
「え〜なんのこと〜?」
「ライブだよライブ」
 ここに来る前、北斗君の部屋でごろごろしてた僕は北斗君と一緒にスマホを眺めてた。
 つんとした言い方だけど、仲間はずれにされて寂しかったみたいな気配は感じない。冬馬君はもともとSNSとか見ない人だからね。それでも公演が成功したかどうかが気になって仕方ないみたい。とっくに赤みが引いた目と目が合って、僕はそんな冬馬君のことをかわいいなって思った。
「もちろん大盛況だったよ」
 カルボナーラを混ぜれば濃いクリームの香りが白い湯気と一緒に立ち昇ってくる。食べたい分だけすくい上げて取り皿の上に盛っていたら、冬馬君からは「そっか」なんて、他人事みたいな言葉が返ってきた。
「冬馬君的には何点だったの?」
「言わねえ。……おい、翔太おまえわかって言ってるだろ」
「へへ、冬馬君が泣いちゃうなんてレアなライブになったよねえ」
「あー……マジで……くそ、」
 小さくしたお肉にフォークを刺しながら苦いものを食べたみたいな顔をする冬馬君。ついつい笑いがこみ上げてきちゃう。怒られるかもってわかってても茶化さずにはいられない。
「恥ずかしがることないじゃん。熱気も歓声もすごかったんだし。……あ、でもみんな心配はしてたよ。『なんで冬馬は泣いてたの〜?』って。僕ら、あのままはけちゃったから」
「俺だって泣くつもりなんかなかったっつーの! 勝手に出てきて止まらねえもんどうしろってんだ」
「泣いちゃえばよかったんだよ」
 あのとき言えなかった台詞を吐いて僕は1人だけすっきりした気分になる。何が何だかさっぱりだって顔を冬馬君がしてるから、カルボナーラを飲み込んだあと「アイドルだもん。泣き顔も絵になるでしょ」なんて、もっともらしい言葉を続けてあげた。
「……いや。でも、やっぱあれはみっともなかっただろ。せっかくラスト盛り上がっていい雰囲気だったのに……」
「終わったこといつまでも引きずるなんて女の子みたい」
「……プロに男も女もねえよ」
 あっやば、言い過ぎた。手のひらで口元を押さえて味わっていたコーラを飲み下す。ごくんって思ったよりも大きく鳴った喉を冬馬君がじとりと睨んできて、僕は素直に「ごめんなさい」をした。おう、と返事をしてサラダを取り分け始めた冬馬君に「僕にもちょうだい」ってすかさず小皿を渡せば「自分でやれよな」なんて聞き飽きた小言が飛んでくる。なのに、つぶした温玉を多めに乗せてくれてる。ほんっと、冬馬君は僕がわかってるよね。ありがと〜! って笑顔を安売りして、分けてもらったばかりのレタスとベーコンにフォークを刺した。
 ていうか、結局泣いちゃった理由は冬馬君にもわからないんだ。な〜んだ。僕と同じ気持ちでいてくれなかったことに少しだけがっかりしながら、おりこうな僕は別の話題を振ってあげた。現地入りした昨日のこと。僕はホテルから車で20分くらいの場所にある遊園地にスタッフさんたちと遊びに行ったんだけど、冬馬君と北斗君は2人でショッピングするところを撮ってたはず。
「ツアーが終わったら今度は3人で来ようよ。アトラクションだってぜんぶ乗れたわけじゃないし、食べたかったものも制覇できなかったし」
「俺と北斗は十分満喫したけどな」
「ええ? 僕抜きで? 嘘だぁ〜」
「そもそもおまえが遊園地に行きたいって駄々こねたから二手に分かれるはめになったの忘れてねえか?」
「でもそのおかげでいい絵が撮れたってディレクターさんは褒めてくれたもん。……だよね?」
 僕と冬馬君のやりとりをカメラで撮り続けるスタッフさんに同意を求めればうんうんと頷かれた。声は出さないままグッと親指まで立ててくれてる。
「ほらほら。さっすが僕」
「体重と一緒に態度までデカくなりやがって」
「あいたっ」
 冬馬君が僕のおでこに軽いデコピンを飛ばして笑う。
 きっとこのシーンは使われるだろうな。途中カットされるところはあるんだろうけど、コンテンツとしては上々の出来になってると思う。
 僕は1人で冬馬君のところに来たわけじゃなかった。スタッフさんと一緒に冬馬君の部屋に入って、ベッドでのやりとりもごはんを食べてるところもぜ〜んぶ手持ちのカメラで撮影されてる。北斗君のほうにも別の人がついて行ってるし、本当の本当に羽根を伸ばせるのはもうちょっと先になりそう……って、あー……やば、なんか意識しちゃったら、急に眠くなってきちゃった。お腹はまだまだ膨れてないのに。
「翔太。食いながら寝んな。どっちかにしろ」
「……んー」
「まだスープも入ってんじゃねえか。危ねえから避けとくぞ」
「とーまく……おかぁさん……」
「ったく。俺がお母さんならおまえは赤ん坊だなっ、と」
 持っていたフォークが手から抜き取られて、ついでにナプキンも剥ぎ取られた僕は冬馬君に抱き上げられていた。もう、軽々しく持ち上げないでよ。そんな文句を言いたいのに僕の目は閉じちゃうし、口はもにゃもにゃとまともな言葉を吐いてくれない。柔らかなマットレスに背中が沈めば最後。僕の身体はお休みモードに切り替わった。
「翔太のやつ、こんなんだから増量するんじゃねえかな。せっかくデートの約束もしてたっつーのに……しょうがねえから俺1人で行くか」
 これはたぶん、カメラに向かって話してるんだと思う。僕の頭をくしゃくしゃに撫でた冬馬君の手が離れていって、足音も遠ざかって行く。えー嘘、本当に行っちゃうの? 思ったことは何一つ言えないまま、僕の意識はそこで途切れちゃった。


 ブーン……ブーン……って何かが鳴る音がうるさくて目が覚めた。部屋は薄っすらと明るくて、目をこすりながら起き上がって辺りを見渡す。冬馬君は見当たらなくて、もしかして自分のベッドに運ばれたのかもって思ったけど、床に転がってるスーツケースは確かに冬馬君のものだ。じゃあやっぱりここは冬馬君の部屋ってことだよね。テーブルの上に広げていたお皿は1つ残らずきれいに片付けられていて、冬馬君1人で食べたなら悪いことしちゃったなって少しだけ罪悪感がわく。
 ぐ〜っと腕を伸ばして伸びをすると、身体に固定してた氷嚢とバンドが外されてることに気づいた。首根っこを触ってみたら右肩にかけて湿布が貼ってある。トレーナーさん? ……ううん、冬馬君だこれ。貼り方雑だし、よく見たらこれ冬馬君のスウェットだし。全く冬馬君ってば、僕が朝まで起きないって決めつけちゃってさ。
「――うおっ! 起きてたのかよ翔太」
 ホテルの寝間着に着替えた冬馬君が歯ブラシを咥えて洗面所から出てきた。なるほどね。あれはドライヤーの音だったんだ。
「……いま何時?」
「11時過ぎたとこ。……戻るか?」
「そうしてほしいならそうする」
「おまえなあ……、明日も休みじゃねえんだぞ」
「わかってるよ」
 戻れって言わずに僕の意思を尊重してくれるところ。冬馬君は優しいよね。だから甘えちゃうし、いじわるしたくなっちゃう。
「別にエッチしたいって言ってるわけじゃないんだからここに居たっていいじゃん」
「ゴフッ! ゴホッ、ゴホッ」
 口から白い泡を吹き出した冬馬君がバタバタと洗面所に駆け込んで行く。僕も冬馬君を追って洗面所に突撃した。洗面台に向かってゲホゲホ咳き込む冬馬君の背中をさすってあげながら、コップに入れられたままのアメニティ歯ブラシを抜き取る。冬馬君はいつも自分の歯ブラシを使うから、これは僕がもらっても問題ないはず。
「ほらうがいして」
 空になったコップに水を注いで手渡せば涙目にキッと睨まれた。だから、ぜんぜん怖くないんだってば。
「誰のせいだと……っクソ、覚えてろよ……!」
「んふふ」
「笑いごとじゃねえぞ。マジで集中切らすようなこと言うなよな……」
「ふぁ〜い」
 お、冬馬君ってば歯磨きやりなおすみたい。僕の隣に立ったまま歯磨き粉を絞ってる。鏡に映る僕と冬馬君、やってることは歯磨きだけど結構いい感じかも。自然体っていうか親近感がわくっていうか? とにかくおねーさんたちが好きそうだなって思って、冬馬君のスマホはどこだろうって洗面所から顔を出して小さな部屋をぐるっと見渡した。あ、あったあった。備えつけのデスクの上に置かれたスマホを取って指紋認証でロックを解除する。
「翔太? 何して、」
 カシャ。
 返事はせずに冬馬君と僕の歯磨きツーショットを撮った。……うん、背景は真っ白だし特定されるようなものは何も映り込んでない。強いて言えば冬馬君の歯ブラシくらい? まあでもこれくらいなら大丈夫でしょ。念の為にモノクロ加工した写真を冬馬君のアカウントにアップして「はい」とスマホを冬馬君に返した。さあ、うがいうがい。
「は? おまっ、これ!」
「おやすみ冬馬く~ん。明日もいいライブにしようね」
「そりゃ当然……じゃなくてだな! こんな写真あげたら何言われるか……」
「『仲良しだね』としか思われないよ。心配性だなあ冬馬君は」
 今日撮影されたものが公式に出たら話は変わるんだろうけど。今僕が着てるの、冬馬君の服だしね。察しのいいおねーさんには「あっ!」て思われちゃうかもしれない。もちろん答え合わせはしてあげられないから、僕らのリアルはご想像にお任せってことで。
 すっかり冷えたお布団に潜り込んで冬馬君が来るのを待つ。今夜はどっちがどっちの抱き枕になるのかな? 僕が冬馬君の抱き枕になっちゃう予感、なんてね。




アドリブばっか上手くなる笑/240420